2011年8月11日木曜日

□コンビニ全盛 ~先輩はハワイの「ABCストア」~


24時間、いつでも、すぐ間に合う店が「コンビニ」の魅力である。立地条件さえ良ければ、利用者は絶えない。「コンビニ」の先輩は海の向こうのハワイだが、日本も負けずにがんばっている。

ハワイ旅行に行ったのは確か1997年だったが、ハワイ州内最大のコンビニエンスストア・チェーン「ABCストア」がワイキキの至る所にあり、1.6キロ四方に37店舗を構えていた。カラカウア通りと海岸通りの交差点には4つのABCストアがあったのを覚えている。いずれ日本にもコンビニ時代が到来する予感がしていた。

ハワイの場合、食料雑貨に加えて日本人旅行者向けの商品と土産物を扱っていたが、最もよく売れていたのは、サンスクリーン剤、サングラスなどの日除け商品や日本語新聞、おむすび、日本風の弁当などである。

日本では1974年にセブンイレブンが東京都江東区に開店したのが日本型コンビニエンスストアの1号店だったが、当時はまだ全国展開していなかった。しかし、今は日本列島の至る所でコンビニエンスストアは花盛りである。

1980年代以前には「コンビ」「深夜スーパー」などという呼び方をされていたが、現在は、略称「コンビニ」に定着した。年中無休で長時間の営業を行い、小規模な店舗ながら多くの場合、大手資本によるチェーン店舗として展開されており、主に食品、日用雑貨など多数の品種を扱う形態の小売店として消費者に親しまれている。年間売上高も全国百貨店の年間売上高を抜く勢いである。

主なコンビニは次の通りである。

1、セブンイレブン=約1万3200店(セブン&アイ系列)

2、ローソン=約1万店(ダイエー系列→三菱商事系列)

3、ファミリーマート=約8300店(西友系列→伊藤忠商事系列)

  am/pmジャパン(2010年3月吸収合併)を合算すると約8500店

4、サークルKサンクス=約6200店
  (ユニーの実質子会社、伊藤忠商事と提携)

5、ミニストップ=約1600店(イオン系列)

6、デイリーヤマザキ=約1600店(山崎製パン系列)

2011年8月4日木曜日

□小松左京さん ~貴重な教訓になった「日本沈没」~


大好きなSF作家、小松左京さんが80歳で亡くなりました。長寿社会の中で80歳といえば、まだ、これから頑張れたのに残念です。代表作の小説「日本沈没」(1973年)は400万部のベストセラーになり、ドラマ化、映画化され、日本中に衝撃を与えました。阪神・淡路大震災、東日本大震災などで日本列島が大きく揺れるたびに、誰しも一瞬「日本は沈没するのだろうか」と不安と恐怖を覚えたはずです。

いくらSF小説とはいえ「日本沈没」は現実味を帯びた描写でした。たとえば、今回発生した東日本大震災で大きな被害を受けた東北地方の地名が映画に登場していますし、偶然ではないことに驚きました。決して荒唐無稽な発想ではなく、未来を構想する文明論で知られる小松左京さんの博学多才な知識に裏付けられ、貴重な教訓を与えてくれました。

亡くなる直前に東日本大震災について「この危機は必ず乗り越えられます。日本は必ずユートピアを実現できると思います。日本と日本人を信じているからです」と語っています。阪神・淡路大震災後も阪神文化の復興に貢献するなど常に「日本を沈没させてはならない」思いを人一倍強く持っていたのです。

映画「日本沈没」のあらすじは、こうです。日本各地で大規模な地震が頻発する中、潜水艇「わだつみ6500」のパイロット・小野寺は、同僚の結城と共に地球科学博士・田所の指揮の下、深海調査に参加しました。その結果、大地震と噴火活動によって日本が1年以内に沈没するという驚愕の事実を知るのです。

総理大臣は諸外国に日本国民の受け入れを要請し、危機管理担当大臣は日本を救う方法を求めて田所を訪ねます。そんな中、小野寺は被災現場でハイパーレスキュー隊員の玲子と出会い、お互いに心引かれるというストーリーです。地球物理学の最新研究を織り込み、地殻変動で日本列島が海に沈むという「日本沈没」は、危機に直面した国家と日本人の姿がセンセーショナルな話題を呼びました。

小松左京さんは、京都大文学在学中にモリミノルの筆名で漫画を描き、高橋和巳さんらと出会い同人誌などに小説を発表し、ラジオのニュース漫才の台本を執筆する一方、米国のSF小説に大きな影響を受けたのです。まず「SFマガジン」誌のコンテストで「地には平和を」が入選しデビュー作となりました。

主な著作では、生物兵器ウイルスと核戦争による人類滅亡を描いた「復活の日」や社会性の強い「日本アパッチ族」、超能力者スパイをめぐる活劇「エスパイ」、第6回日本SF大賞受賞作「首都消失」、自ら映画監督も務めた「さよならジュピター」など多くの話題作を送り出しました。

2011年7月28日木曜日

□いも代官 ~「享保の大飢饉」で領民を救う~

為政者の手腕によって国の盛衰が決まる。東日本大震災という国難に際し、もたもたしている菅内閣の支持率が急落している。被災者の苦しみ、被災地の復興に対して、一筋の光明も見えてこない。それに比べると、昔の話になるが「享保の大飢饉」に命を張って対処し、領民の中で1人の餓死者も出さなかった「いも代官」の功績は偉大であった。今の政治家たちに爪の垢を煎じて飲んでもらいたいほどだ。

江戸城で勘定役として30年余り勤めた井戸平左衛門正明は、享保16年、60歳の高齢で石見国大森代官に任命されたが、着任早々から大凶作。翌17年、備中国笠岡代官を兼務したが、ウンカの大発生により西日本は「享保の大飢饉」といわれる大凶作に見舞われたのである。

領民の苦労を見かねた井戸代官は、事態が一刻を争うと判断して、私財をなげうち、豪商から寄付を募り、被害のない藩から米を買い集めたが、一時しのぎで食いつなげない。そこで、幕府の命令を待たずに独断で陣屋の米蔵を開いて領民に米を配った。さらに、年貢米を減免したり免除にする思い切った施策を断行したのである。

しかし、時が経つと米が底を突くのは目に見えている。井戸代官は、旅の修行僧からいい話を聞いた。それは、救荒作物として、やせ地でもとれる食物としてさつま芋を導入することであった。薩摩藩からさつま芋の種芋を手に入れるのは至難の技であったが、勘定役だった井戸代官は、幕府から薩摩藩へ根回しをした結果、舟便で無事に種芋を入手することができた。

温暖な薩摩と寒冷地の石見という気候の関係で、種芋の植え付けは時期が悪く、最初は失敗を重ねたが、やがて栽培に成功した。さつま芋は米に変わる貴重な食物になり、飢饉をしのぐことができた。井戸代官の支配地からは、1人の餓死者も出さなかったのである。

しかし、領民の命を守った井戸代官も、幕府の許しを得ずに陣屋の米蔵を開いた罪は大きく、謹慎の身となり笠岡の陣屋へ逼塞し、享保18年(1733)5月、62歳で悲運の生涯を終えた。自らの責任を取って切腹したとされる説もあるが、切腹説を立証する資料はない。おそらく高齢で、しかも肝臓の持病が高じたことから病死説が有力と見ている。

井戸代官の死は、たちまち中国地方一円に広まった。その死を悼んで、領民、農民は号泣した。「今、生きていられるのは井戸代官さまのおかげだぞ」「幕府は何もせず、命の恩人を死に追いやってしまった」。村々も人々もいっせいに立ち上がった。「恩は石に刻め」と石見の人々は井戸代官の善政をたたえ、遺徳をしのび、先を急いで石碑を刻んだ。

死後は「芋代官」「芋殿さん」「芋神さん」と呼ばれた名代官として崇められ、石見地方には5百基の頌徳碑や芋塚・芋墓・芋地蔵などが建立されている。井戸代官の墓は笠岡市の曹洞宗威徳寺境内にひっそりと建っている。

2011年7月21日木曜日

□なでしこジャパン ~「大和撫子」に願いを込めて命名~


サッカーの女子ワールドカップで「なでしこジャパン」が、米国を降して世界一になり、日本人に大きな感動と勇気を与えてくれました。国際大会で日本が優勝するのは男女を通じて初めての快挙ですから、日本列島が歓喜に沸くのは当然です。そこで、いい機会なので「なでしこ」について考察してみます。

「なでしこジャパン」は、女子日本チームの愛称です。アテネオリンピックのアジア予選大会(2004年)の時から使われています。「大和撫子」にあやかり「世界に羽ばたき、世界に通用するように」との願いを込めて命名されたのですが、今回それを見事に実現したのです。

大和(やまと)は日本国の昔の呼び方、撫子(なでしこ)は秋の七草の一つです。「大和撫子」は、日本女性の清楚な美しさをたたえる言葉になります。このほか「辛抱強い」「可憐」「美しい」「りりしい」「控えめ」といった日本女性にふさわしい思いが込められています。大柄な米国選手に立ち向かった小柄の日本選手は、「可憐」に走りつづけ「辛抱」強く戦って勝利をものにしたのです。

撫子の花は、7月~10月にかけて河原や野原に咲きます。ピンク色の可憐な花で、白い花もあり、花の先が細かく切れ込んでいるのが特徴です。名前の由来は「子」を「撫(な)」でるようにかわいい花から来ているようです。「純愛」「大胆」「勇敢」の花言葉通りに「なでしこジャパン」は、見事に咲いて大活躍したのです。

撫子は、万葉集、枕草子などに登場しています。

「野辺(のへ)見れば 撫子の花 咲きにけり わが待つ秋は 近づくらしも」 万葉集

「わが屋戸に まきし撫子 いつしかも 花に咲きなむ なそへつつ見む」 大伴家持 万葉集

「うら恋し わが背の君は 撫子が 花にもがもな 朝な朝(さ)な見む」 大伴池主 万葉集

「久方の 雨は降りしく 撫子が いや初花に 恋しきわが背」 大伴家持 万葉集

「秋さらば 見つつ偲(しの)へと 妹(いも)が植えし 屋戸の撫子 咲きにけるかも」 万葉集

「草の花は なでしこ 唐のはさらなり、大和のもいとめでたし」 清少納言 枕草子

「ゆかしくば 行きても見ませ 雪島の 巌に生ふる 撫子の花」 金槐和歌集 源実朝

「御地蔵や 花なでしこの 真中に」 小林一茶
 

2011年7月14日木曜日

□金持神社 ~縁起にあやかり金運・開運祈願~


「貧乏」と「金持ち」は、どちらがいいですかと尋ねると、十人が十人「金持ち」がいいと答えるに決まっています。しかし、皮肉なことに「貧乏」でも幸せな人がいるし、「金持ち」でも不幸せな人がいます。人それぞれの生き方には、価値観の相違もありますが、誰しも心の中では「お金持ちになりたい」願望は捨てきれないようです。

先日、旅仲間とマイクロバスで蒜山高原へ行き、B級グルメのゴールドグランプリに輝いた「ヒルゼン焼きそば」を賞味したあと、出雲街道181号線で鳥取県日野町へ向かいました。着いた所がなんと「金持神社」。その縁起のよい名前から、金運・開運祈願の神社として広く信仰を集め、ジャンボ宝くじ発売シーズンになると、参拝者が増えるそうです。

金持は「かねもち」ではなく「かもち」と呼びます。金持郷は古くから黄金より勝ると言われた「玉鋼」の産地で原料の金(砂鉄)が多く採取され、金持姓のもとになった金持(かもち)が地名です。「金持党発祥之地」の石碑が建ち、その横の碑文を読むと、砂金を背景に勢力を広げた鎌倉時代の守護職・金持伯耆守広親、南北朝時代に転戦した武将・金持大和守景藤のことなどが詳しく書かれていました。

「金持神社」の由来は、810年、出雲国の神官の次男が、伊勢神宮参拝のため、この地を通りかかったところ、お守りとして身につけていた神前の目付の玉石が急に重くなり、この地に宮造りするよう神夢があったので、宮造りしたと伝えられています。

現在は、故事来歴はともかく「金持神社」の漢字にあやかろうとする人たちが、観光バスやマイカーで訪れています。金持神社の鳥居をくぐると、境内には鳥取県銘木の樹齢600年になるサワラ、チャンチンの2本があります。急な石段を登ると、小さな神殿があり、お賽銭を入れ、神妙に両手を合わせて「お金持ちになれますように」と祈願するのです。

金持神社へお礼参りに来て奉納した絵馬の中には「ロト一等が当たりました」という、縁起の良いものもあります。 札所の落書き帳にも「宝くじ一等が当たりました、ありがとう」 とか「パチンコで大勝したのでお礼に来ました」など喜びの声が書かれています。あるご夫婦も、そっとVサイン。「実は、宝くじ二等が当たりました。今日は、お礼参りと、今度は一等を当ててくださいとお願いに来ました」など、うらやましいエピソードも尽きないようです。

2011年7月7日木曜日

□本屋大賞「謎解きはディナーのあとで」 



2011年の本屋大賞になった「謎解きはディナーのあとで」が100万部を突破し大ベストセラーになっています。先日、NHKテレビ「岡山もぎたて」のインタビューで作者の東川篤哉氏(43)が「そんなに売れるなんて、想定外です」と語り、本人がびっくりしていました。

東川氏は、尾道市生まれ、岡山大学法学部を卒業後、ガラス瓶メーカーの経理部門で働きましたが「サラリーマンは向いていない」と26歳で退社。それ以後、一寸先はホームレスかというアルバイトの傍らミステリー小説を投稿する生活を8年間続け、平成14年に「密室の鍵貸します」でデビュー、ミステリー作家として活躍しています。

小学校のときから、コナン・ドイルら海外のミステリー作品を読みあさり、岡山での学生時代は、片っぱしから映画を鑑賞していたとか。売れっ子となったいまも東京都国分寺市内のアパートで一人暮らし。携帯電話も持たない根っからのアナログ派を通しています。

ストーリーは「殺人現場では靴をお脱ぎください」「殺しのワインはいかがでしょう」「綺麗な薔薇には殺意がございます」「花嫁は密室の中でございます」「二股にはお気をつけください」「死者からの伝言をどうぞ」の6話がオムニバス形式で成り立っています。

主な登場人物は、まず大財閥・宝生グループの一人娘・宝生麗子は国立署に所属する女刑事。その上司は、ちょっと軽薄な中堅企業の御曹司の独身貴族・風祭警部。麗子の運転手兼執事をつとめるのが小生意気な影山。彼が麗子との会話の中で、事件を次々に解明し明晰な推理を披露していくのです。令嬢刑事と毒舌執事が織りなすユーモアをまじえたユニークなミステリー小説です。

第1話は、アパートで25歳の女性が殺害された事件の真相を追います。毒舌の執事・影山に「この程度の真相がお判りにならないとは、お嬢様はアホでいらっしゃいますか」と言われ、侮辱された麗子は「クビだ」を連発します。しかし、景山の鋭い推理力によって難事件は解決します。

第2話は、動物病院院長の不審な死。殺人か、自殺か。死体のそばにワイングラスが転がっていました。麗子が事件のあらましを説明すると、景山は「ひょっとしてお嬢様の目は節穴でございますか」と言い、ワインボトルには細い穴が二つあり、犯人はそこへ注射器で毒を入れて殺害したというのです。

第3話は、藤倉邸には薔薇園がある豪邸。薔薇のベッドに美女の死体が横たわっています。美女は、最近、藤倉邸の息子と離れに住みついています。麗子の推理は難航しますが、「おや、まだお判りになりませんか、お嬢さま。犯人が誰なのか、歴然としておりますのに」と口の悪い執事の影山が、雇い主であるお嬢様をこき下ろしながらも事件を解明します。

第4、5、6話は割愛します。

2011年6月30日木曜日

□熱中症対策 ~「インターバル速歩」や冷却グッズ~


福島第一原発で今年の夏は節電が求められています。消費電力の高いエアコンだけに頼らない熱中症対策として、冷却グッズを活用したり、朝夕の涼しいうちに、速歩きとゆっくり歩きを繰り返し暑さに強い体を作るなどの工夫で乗り切りましょう。

熱中症は、暑さが原因で体内の水分や塩分(ナトリウム)のバランスが崩れ、体温調節がうまくできなくなって起こる障害です。人は暑い時、自律神経の働きによって、末梢血管を拡張させて皮膚に流れる血液を多くしたり、発汗させたりすることで、体内にこもった熱を逃がし、体温を調節します。

しかし、高温の環境に長時間置かれると、皮膚に集まった血液の流れが滞り、熱放散による体温調節ができなくなります。体に熱がたまって起こる主な症状は、めまい、頭痛、吐き気、けいれん、意識障害などです。

熱中症を甘く見てはいけません。記録的な猛暑だった昨年、熱中症で緊急搬送された人は約5万6000人いました。このうち搬送直後に172人が死亡しています。搬送された人の5割近くが65歳以上の高齢者です。高齢者は、体温の調節機能が衰え、体内の水分量が若い人より少ないのが特徴です。

暑さに強い体づくりとして、スポーツ医科学の学者が「インターバル速歩」を提唱しています。高齢者や体力に自信のない人でも手軽にできるからです。速歩きとゆっくり歩きを3分ごとに繰り返します。速歩きは、しばらくすると汗ばむのが目安です。これを30分間、週3日行います。気温が30度を超す日は、朝夕の涼しい時間を選びます。

「インターバル速歩」に関する調査の結果、高齢者は2~4週間で汗をかきやすくなるなど体温を調節する機能が改善することが分かりました。また、30分以内に牛乳やヨーグルトを取ると効果がアップします。これらに含まれる糖分やたんぱく質が、血液中の水分量を増加させ、体温調節機能が改善されるからです。

冷却グッズも活用のひとつ。手軽なものでは、バンダナやスカーフ。動脈の通っている首に巻くと、全身の血液を冷やすのに効果的です。寝苦しい夜を乗り切るのに活躍しそうなのは冷却パッド。冷蔵庫で冷やせるジェルをシーツに貼り付けたもので、ベッドに敷くとひんやりします。

消費電力が高いエアコンも使い方次第で節電できます。経済産業省は「設定温度は28度に」と推奨していますが、これでは暑いと感じる人も多いでしょう。そんな時は、温度を下げずに風量を強くすることです。消費電力がエアコンの数十分の1とされる扇風機の併用も効果的です。

熱中症の予防には、「水分補給」と「暑さを避けること」が大切です。熱中症になった人の処置は、涼しい場所に避難させる、衣服を脱がせ、身体を冷やす、水分・塩分を補給することです。意識がない場合は直ちに救急車を要請することです。

2011年6月23日木曜日

□ご当地ソング ~日本各地を多彩に歌う水森かおり~


昔も今も「ご当地ソング」は良く歌われています。「ご当地ソング」は、歌謡曲、ポピュラーや演歌、民謡のジャンルでタイトルや歌詞に都市名・地方名や各地方の風習・文化・地形に関する事柄などを取り入れることで、地方色や郷愁などを前面に打ち出しています。代表的なのは、ペギー葉山の「南国土佐を後にして」や、さとう宗幸の「青葉城恋歌」、五木ひろしの「よこはまたそがれ」などがあります。

最近「ご当地ソングの女王」と呼ばれているのが水森かおりです。彼女の元には地方自治体などから地元を歌って欲しいという依頼が殺到しているとか。「鳥取砂丘」のヒット以降でも「釧路湿原」、「五能線」、「熊野古道」、「ひとり薩摩路」、「輪島朝市」、「安芸の宮島」、「松島紀行」、「庄内平野・風の中」など日本各地を多彩に歌っています。

主な歌をピックアップしていきますと、北海道では、石原裕次郎の「恋の町札幌」、鶴岡雅義と東京ロマンチカの「小樽のひとよ」、東北地方では、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」、千昌夫の「北国の春」、東京は、島倉千代子の「東京だよおっ母さん」、フランク永井の「有楽町で逢いましょう」、横浜は、いしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」などがあります。

北陸地方は、美川憲一の「新潟ブルース」、東海地方は、五木ひろしの「長良川艶歌」、石川さゆりの「天城越え」、大阪は、BOROの「大阪で生まれた女」、都はるみの「大阪しぐれ」、神戸は、内山田洋とクール・ファイブの「そして、神戸」、中国地方では、水森かおりの「鳥取砂丘」、小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」があります。

四国では、四万十川を歌った美空ひばりの「川の流れのように」、最近では、北山たけしの「剣山」、大月みやこの「豊予海峡」、夏木綾子の「霧情… 高松港」、九州では、内山田洋とクール・ファイブの「長崎は今日も雨だった」、村田英雄の「無法松の一生」、沖縄では、森山良子、夏川りみの「涙そうそう」があります。

さて、岡山の「ご当地ソング」は、どうでしょう。古くは春日八郎の「倉敷の人」、瀬川瑛子の「西大寺ブルース」があり、最近では中村美律子の「下津井お滝・まだかな橋」、夢一朗の「日生漁港」、大地誠の「伯備線」などがよく歌われているようです。新曲では「湯の町湯原」が出ています。

2011年6月16日木曜日

□身近な節電 ~エアコンが半分以上の電力消費~


3月11日に発生した東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故と浜岡原子力発電所の運転停止により電力の供給力が減少しています。これから夏期にかけて、エアコン(冷房)などの消費電力が増加し、電力需給のバランスが極めて厳しい状況になることが予想されます。電力ひっ迫による計画停電を回避するためには、一人一人が節電に対する理解を深め、行動することが必要です。

とくに今夏の節電は、電力ピーク使用時の午後2時頃を抑制することが必要不可欠といわれています。各企業も節電対策を立てて対応していますが、身近な家庭でも一人一人の節電アクションが求められています。

夏の日中、午後2時頃の家庭では、平均で約1,200Wの電力を消費していますが、そのうちエアコンが53パーセントを占めています。次いで冷蔵庫(23パーセント)、テレビ(5パーセント)、照明(5パーセント)、待機電力(4パーセント)、その他(10パーセント)の順です。外出中の家庭でも冷蔵庫、温水洗浄便座、待機電力などにより平均で約340Wの電力を消費しています。

家庭での「節電メニュー」を列記してみます。実行すると、削減率の合計が5パーセントを超えることができます。

【エアコン】
ゴーヤなどの“緑のカーテン”や“すだれ” などで窓からの日差しを和らげ、室温28度を維持することです。無理のない範囲でエアコンを消して、扇風機を使うことです。除湿運転やエアコンの頻繁なオンオフは電力の増加になります。

【冷蔵庫】
冷蔵庫の設定を「強」から「中」に変え、扉をあける時間をできるだけ減らし、食品をつめこまないようにすることです。

【照明】
日中は照明を消して、夜間も照明をできるだけ減らすことです。

【テレビ】
省エネモードに設定するとともに、画面の輝度を下げ、必要な時以外は消すことです。

【ジャー炊飯器】
早朝にタイマー機能で1日分まとめて炊いて、冷蔵庫に保存することです。

【待機電力】
リモコンの電源ではなく、本体の主電源を切ることです。長期間使わない機器はコンセントからプラグを抜いておくことです。

このほか消費電力の大きい電気製品は、温水洗浄便座、電気ポット、食器洗い乾燥機、オーブントースター、掃除機、ドライヤー、選択乾燥機、浴室乾燥機、電子レンジ、アイロン、クッキングヒーターなどがあります。

エアコンの控え過ぎによる熱中症などに気を付けて、無理のない範囲で節電に取り組むことです。朝夕の涼しい時間帯に道路などに水をまいて暑さを緩和するのもいいと思います。

2011年6月9日木曜日

□安原備中守 〜石見銀山の全盛期を築いた功労者〜

岡山から歴史上に名を残している人材は多く出ています。古代史で活躍した人では、吉備真備、和気清麻呂、新たな宗派を開いた法然、栄西がいます。有名なところでは宮本武蔵や雪舟などがいます。ところで影に隠れた人物が多くいることも忘れてはなりません。5年前、世界遺産に登録された石見銀山の基盤づくりと全盛期を築いた功労者が岡山県出身者だったことはあまり知られていません。

その人は、早島町出身の安原伝兵衛こと安原備中守です。帯江銅山(倉敷市中庄)、吉岡銅山(高梁市吹屋)で鉱山経営と技術を磨いた伝兵衛は、安芸の毛利氏に乞われて石見銀山に赴きました。時は移り石見銀山は関ヶ原で勝った徳川家康の直轄地・天領になりました。伝兵衛は、初代奉行・大久保長安の片腕として石見銀山を最盛期に導いたのです。

観世音菩薩から夢のお告げがあって、伝兵衛が掘り当てた「釜屋間歩(まぶ)」が銀の大量産出をもたらし、京都・伏見城で家康公の謁見を許され、銀13.5トン(年貢)を献上した時、褒美として備中守の称号を与えられ、家康が着ていた胴服と扇子を拝領するという栄誉に浴したのです。石見銀山は年間38トン産出し、世界の産出銀の3分の1を占めていました。ポルトガルやアジア諸国との交易も盛んに行われていました。

梅雨の晴れ間の6月3日(金)。早島町の子孫を中心にした「安原備中守を偲ぶ会」がバスで石見銀山へ墓参りと史跡めぐりをしましたが、筆者も同行しました。現地のガイドの案内でまず世界遺産センターを見学しました。安原備中守のコーナーには、家康から拝領した「辻ヶ花染丁字文道服」(つじがはなぞめちょうじもんどうふく)などが展示されていました。

次は、最近一般公開された「大久保間歩(まぶ)」ツアーです。準備体操して山登り。長靴、ヘルメット、懐中電灯を装備して坑道に入りますと、すごい冷気が襲ってきます。半袖の人は入れません。コウモリが飛び交う高さ5メートルの巨大な坑道に圧倒されました。

墓所は、標高534メートルの仙の山頂上近くにあり難コースでした。杖を持ち命綱のロープにつかまりながら道なき道の急峻な山肌を一歩一歩踏みしめて登り切りました。一般の人は立ち入り禁止ですが、早島の子孫が墓参に来るというので、大田市役所が特別の計らいで事前に草刈りをしてくれていました。

墓は、400年の風雪にさらされているため、戒名が読みとれないほど黒ずんでいました。同行の僧侶の読経が流れる墓前で、花を供え線香を手向け、銀山王・安原備中守の遺徳を偲びました。安原伝兵衛がいたからこそ石見銀山が世界遺産になったのです。